メソッド創始者


K・スタニスラフスキー

Konstantin Stanislavski

演出家,俳優,演劇理論家。芝居好きな工場主の家に生まれ、16才でマチュア家庭劇団を結成、演出家として経験を積む。その後芸文協会を設立、著名な演出家や歌手を教師に招く等の演劇活動で世間の評判を得る。1897年ネミロビチ・ダンチェンコとモスクワ芸術座を創設、スタニスラフスキー・システムと呼ばれる俳優の演技の実践的に体系づけられた創造的理論を樹立、革命後までソヴェト演劇の指導者となる。自伝「芸術におけるわが生涯」(1926年)、「俳優修業」(’38年)等の著書あり。


サンフォ‐ド・マイズナー

Sanford Meisner

アメリカの俳優、演技教師。現在ではマイズナー・テクニックとして知られる演技指導法を開発した。マイズナーはグループ・シアターでメソッド演技法に触れたが、彼のアプローチはメソッド演技法の明確な特徴である感情的記憶の使用を完全に放棄した点で著しく異なっていた。マイズナーは「行為の現実」を重視し続け、それが彼のアプローチの基礎となった。


リー・ストラスバーグ

Lee Strasberg

9歳の時にアメリカに渡る。アメリカン・ラボラトリー・シアターでロシアの有名な演技論者、コンスタンチン・スタニスラフスキーのメソッド演技法を学び、25歳の時に初舞台を踏む。1930年にはステラ・アドラーらと共にグループ・シアターを創設。多くの戯曲を演出して高い評価を得た。49年にアクターズ・スタジオの芸術監督に就任。62年にはエリア・カザンの後任として最高責任者となった。その間多くの俳優たちを指導。名だたる役者たちが彼に師事した。また、マリリン・モンローが人気絶頂期にも関わらず、それまでのイメージを払拭しようと彼の下で学んだ事は有名。69年にはロサンゼルスとニューヨークにリー・ストラスバーグ・インスチュートも設立。その後も多くの舞台を演出した。門下生だったアル・パチーノの頼みで「ゴッドファーザーPARTⅡ」に出演。ユダヤ系ギャングのボスを演じてアカデミー助演賞候補になった。「カサンドラ・クロス」の老人役も忘れがたいが、出演作は数えるほど。グループ・シアター時代に知り合ったポーラと結婚し、娘のスーザンも生まれたがその後死別した。82年に死亡。


マイケル・チェーホフ

Michael CHekhov

マイケルチェーホフ(1891~1955)は作家アントン・チェーホフの甥であり、20世紀の偉大な役者の一人である。近代演技術の父であるK.スタニスラフスキーの一番弟子で、チェーホフを「最も素晴らしい俳優である。」と評している。モスクワ芸術座の看板役者として名声を得て、第二モスクワ芸術座では演出家としても活躍した。しかしロシア革命により亡命を余儀なくされた。亡命後はヨーロッパ諸国を回り、短い期間であるがイギリスでスタジオを設立する。後年はアメリカに移り、ハリウッドでスタジオを開き多くのプロの俳優を育成した。チェーホフの直接の指導を受けた俳優として、マリリン・モンロー、ユル・ブリンナー、クリント・イーストウッド、マラ・パワーズ、ゲイリー・クーパーなどがいる。またマイケルチェーホフテクニックを学んだ俳優としてはジャック・ニコルソンやアンソニー・ホプキンズなどがいる。